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令和元年度「十二月昼能」での『曽和正博師インタビュー』

2019年12月20日

曽和正博氏インタビュー

どのような修行時代をお過ごしになられましたか。

当時、京都在住で、月に一度、故幸祥光先生に稽古をつけて頂く為、寝台列車で東京まで来ていました。
一度、濁り酒を持って伺ったとき、寝台列車で発酵したんでしょうね、開けた時に一升瓶から天井まで吹き出してしまった。あれは参りました。笑
先生はお酒が下戸な方でね。いつも、徳利にお湯を入れて、お猪口にそのお湯を一杯入れるんです。それを捨ててお猪口にオールドパーのウィスキーを入れ、またそれを徳利に戻し、ふってから、少しずつ、ゆっくり飲まれていましたね。
本来曽和家は、祖父稽古になっていまして、親に習うよりも、祖父に習うのが良いとされています。ただ、私は祖父を知りませんので、祥光先生に習っておりました。稽古日には、シテ方のお流儀に関わらず五番持っていき、その中の一番を先生が選ばれて、それをお稽古して頂いていました。
石橋の披きの時は「年寄りが石橋教えてはいけない。年寄りが石橋を教えては、掛け声が年寄りになってしまう。だから披きの掛け声にならない。」そうおっしゃられ、コミ(間や呼吸)のみを教えてもらいました。
「この他は、全て伝えてある父(故曽和博朗)に稽古してもらえ。」とおっしゃいました。披いた石橋のテープ
は祥光先生に聞いて頂きました。本当の孫のようにしてもらいました。

今回は「翁」の演目ですが、幸流には決まり事などは、ございますか。

幸流では、頭取と胴脇と手先といいます。頭取は、真ん中。笛に近い方が手先。手先は露払い。先駆けで
すね。大鼓に近い方が胴脇。胴脇は後守りです。胴脇の方が、位が上で頭取に何かあったら胴脇が助けるこ
とになっています。細かいことは口伝です。神事ですから伝わるべきところに伝わればいいわけです。
本来、武家式楽では能奉行があります。能奉行が、キザハシから舞台に上がり、一ノ松へ行きます。大夫が幕を上げ下居して、「はじめませい」の言葉をうけて翁がはじまります。その時は三番叟まで小鼓は床几にはかけまん。床几御免の型を行い床几にかかります。昭和二十五年、東本願寺で、その翁を父がつとめております。その五十年前、明治に、この形式で故幸祥光先生が打たれています。こういったことも、曽和家では伝わっていますよ。もちろん、京都の家は燃えておりませんので、ちゃんと残っているものもあります。

翁披きはいかがでしたか?

私の母が、三世茂山千作(真一)の長女で、昭和三十五年、二世千作(正重)の「十三回忌追善会・金剛流翁」にて、五世千作(正義)三番叟披き、七五三(真吾)千歳披き、あきら後見と、私脇鼓披きを四人でつとめました。曽和家は十二歳で脇鼓、十六歳で頭取と決まっておりますので、そのために若竹色の素襖を祖父(三世千作)にお祝いにもらいました。
私の長男も次男もその素襖で脇鼓を披き、父も還暦の時に、その素襖を着て頭取を打ちました。父が頭取の時は、ほとんど脇鼓をしています。
素襖は魔除けの意味で、麻でなければなりません。曽和家の素襖は大紋ではなくタンポポ。頭取は唐松柄。脇鼓は立涌柄の九曜紋チラシです。
基本的には、弟子家も皆、これを着用しています。

今年の国立能楽堂企画展「囃子方と楽器」では、お道具をご展示下さいましたが、お道具に関してどのよ
うなお考えをお持ちですか。

これから先、道具作りは大変で、作る人も少なくなってます。小鼓は馬の皮で、手擦れが少ない若馬の腹皮が一番いいとされています。道具のことは、父にも色々教えてもらいました。京都は静かなところですから、父が小鼓を打ち、私が門外へ出、それがどの胴と皮なのかを聞き分けをして当ててみたり、そういったこともしていました。小鼓はその日の天候によって音が変わりますからね。
道具には、合うもの合わないもがあります。おかげさまで、色々な道
具が曽和家には巡ってきました。お約束はできませんが、、、
今回の「東京能楽囃子科協議会」では、「国立能楽堂展示企画」にて展示致しました、紀州徳川家より拝領の三ツ葉葵大紋蒔絵胴と土佐山之内家、慶持公(小満月)名称の皮を使おうと思っています。

友枝昭世先生との親交はいつからでしょうか。

十代の時(昭和三十年代)に、目黒の正月青年喜多会で舞台を拝見いたしまして、すぐに好きになりました。本当に友枝昭世さんが好きで、私主催の会や記念会でも、度々能を舞って頂いています。
むかし、「勝手に友枝昭世後援会」を梅若景英( 現梅若実) さんとさせてもらっていましたね。大笑
本当に勝手にですよ、、、本当に長いお付き合いをさせて頂いています。

各流様々なシテ方や囃子方のお弟子さんも教えていられますが、どのようなお稽古ですか。

私は稽古が好きな上、大変おしゃべりなので、素人も玄人でも教え方はまったく同じです。玄人、シテ方
三役でも皆教え方は変わりません。
父からも色んなこと教えてもらってきました。ですから当然みんなに色々教えなければならないと思っています。だから、おしゃべりなんですね。笑
父から弟子は、「弟の子」と考え、身内と思って接するようにと教えられてきました。だから「同じ釜の飯を食う」、、、「同じ釜の飯」といえば、お稽古が終わったら、弟子たちと食事に行くようにしています。七十代の私以外は全員二十代なんてこともよくありますよ。笑
それも私の楽しみの一つであり、若返りの秘訣でもありますね。いずれにせよ、能楽という輪の中で若い人たちが少しでも共に支え合える人になってもらえたら本望です。

曽和正博プロフィール
囃子方小鼓方幸流
東京囃子科協議会会員
日本能楽協会会員
昭和二十三年七月十二日生
故・父・博朗(重要無形文化財各個認定)、故・幸祥光(重要無形文化財各個認定)に師事
昭和六十二年京都芸術新人賞受賞
平成3年京都府奨励賞受賞
重要無形文化財各個認定・曽和博朗の長男として京都に生まれ育ち、現在は東京を中心に全国で活躍。
現在、国立能楽堂養成講師
東京、京都、松山などに稽古場をもつ。「曽和韶風会」主宰。

 


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